祐綏神社/桜と徳山藩士の石灯籠群
祐綏神社
徳山藩主毛利家の霊社であったが、明治7年(1874)5月に祐綏神社に改められた。社号は「護神祐以綏万民」という一文に由来するものである。31年(1898)10月に郷社に列せられ、大正4年(1915)10月には県社に昇格した。
その後、昭和20年(1945)7月26日の徳山空襲により焼失したが、35年(1960)11月に毛利家の御霊社社殿の寄付を受けて、この地へ再建された。
もともと祭神は初代藩主毛利就隆であったが、大正4年に九代藩主元藩が増加された。
初代就隆は、城下町徳山の基礎を築き、大いに文武を奨励し、産業を興し、交通運輸の便をはかり、商工業の発展に努め、徳山発展の基を開いた。
九代元藩は、幕末・維新の時に東奔西走し、よく萩本藩を助け維新の大業に尽力した。また文武の振興に努め、産業の興隆に寄与し、戊辰戦争でも多大の功績をおさめ士民から敬愛された。
(周南市教育委員会)
戦後、毛利徳山藩の屋敷跡である祐綏神社周辺は、徳山公園として桜の名所であり、花見客で大変な賑わいを見せていた。もっとも今も、春になるとあちこちに桜が咲き乱れる。
入口の大鳥居は下松の豪商磯部敏祐が明治7年(1874)に奉納。
「徳山藩開府250年」と「徳山改称250年」の記念碑、また、電気事業の父といわれている東京電力の前身東京電燈を設立した矢嶋作郎の植樹記念の石碑がある。矢嶋は明治25年(1892)栂と高野槇を植樹したが、すでに樹木は無く、平成23年(2011)末裔が新たに栂と高野槇を石碑のそばに、また、境内に桜を植樹した。
その他、徳山藩士の奉納した石灯籠が境内にはたくさん残されている。
塩田事業で豪をなした磯部家の奉納した大鳥居
戦前は現在の徳山動物園の中央付近にあった祐綏神社
徳山藩開府250年記念碑
野上を徳山と改称して250年、明治34年に、東船町中と東浜崎中の有志が建立。徳山市内はもちろん、福川、富田、下松などから芝居、しゃぎり、山車などを繰り出し、昼夜花火を打ち上げ、大変な賑わいであったという。
矢嶋作郎植樹の石碑と植え替えられた高野槇と栂
徳山藩士の奉納した石灯籠
下方に岡、江村、粟屋の名前が読み取れる。
境内には桜の幼木が次々と植樹されている
写真の幼木3本は、矢嶋作郎の末裔伊藤雪三(故人)一族が植樹されたものである。
手前の石灯籠は、徳山毛利家より館林秋元家に養子入りした子爵毛利元功公(徳山毛利10代当主)の三男、館林秋元家13代当主秋元春朝公が奉納したものである。
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最終更新日:2021/02/11